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11月6日 第1例会


1953年長崎に生まれ、1974年N.Y.に渡米しアー

トワークを開始した。10代・20代での日本の郷土・

歴史・文化の勉強が重要であると海外に行って気が付いた。N.Yでは、60年代からの有名アーティスト・政治家・社交界の人々に出会い、特に米国人に人気のあるロバートケネディ元司法長官のJrには、後年日本で講演をしてもらっている。また、身内に被爆者がいたことから、国連職員に協力を仰ぎ原爆投下の真実の研究も行った。1992年当時、難民が多く心を痛めていたのでアースサクセスコミッティを設立し、国連難民高等弁務官事務所の支援を始めた。

1993年、自身の代表作となる「シンボルオブピース(平和の象徴)」を発表し、日本人として初めて作品がN.Yの国連本部にパーマネントコレクションとして展示されることになった。これは古切手のコラージュで、ルーマニアの独裁政権のもとで手紙が数少ない安心できる通信手段であったことをヒントに制作したものである。

1994年、国際記念切手「国際防災の10年」に作品を提出し、国連切手デザイン委員会の決定を経て選出された。翌年、20世最後の国連記念切手としてN.Y・ジュネーブ・ウイーンの国連で販売され国連の収入に貢献した。

最後になったが、マイケルジャクソンは1992年の東京ドームでのコンサートの際に知合った。ロックのスーパースターの顔とは別に、彼は当時より難民問題の解決に向けての自身のプラン・戦略を持っており、年末の11日間を夜通しかけて議論し、彼の頭の中にあるイメージを私が描写した。その際に彼にスケッチも書いてもらった。スケッチに描かれたMJWWT(マイケルジャクソンワンダーワールドオブトイズ)は、有色人種を先頭にスケート場でスケートをしている子供たち、中央に大きなクリスマスツリー・噴水・満月・花火・ジャンボトロンが描かれている。マイケルの思いをマイケルジャクソン財団と連携して具現化したいと考えている。